皆様、こんばんはKotaroです。時が経つのはとても早くもう2023年ですね😯❣️

2022年は本当に人に恵まれた年でした。というのも、私たちのクラスに参加してくださっている方々が本当に、魅力的な方々ばかりなのです。自分たちには勿体ない位、優しく・誠実で・個性的な方々ばかりなんです。

クラスがあった日は家に帰り、パートナーのAyakaと(妻ですね)「本当に皆さんよかったよね、○○さん上手になっていたし、クラスやってよかったね」と話しています。「あの抱擁(アブラッソ)は直さないとね」とかも話してますが。。お許しくださいませ😂笑

さて、年末に大掃除をしていたらむかーしの写真が出てきました。あまり皆さんとゆっくりお話しする時間がないので、簡単に追憶と共に書かせていただきます。(今度ご飯でも誘ってくださいね)

もともと、タンゴと社交ダンスは父方の祖父がやっておりました。当時は洋服屋を営みながら、二階にステージ(みたら本当にステージでした。笑)を作り、祖母も一緒にお客様を招き踊っていたとのことです。

舞台を見に来てくれた祖父と

その影響で父(現在は鎌倉ダンスプラザを経営し社交ダンスを教えています)が社交ダンスを始め、母と出会い二人で踊り始めました。そんなことから幼少期の自分は劇団に入り(入れられて)、日舞・バレエ・演技などを学び、魚屋宗五郎で子役を演じました。当時はタイツがピンク色だけで死ぬほど恥ずかしかったです。。。

魚屋宗五郎のオーディションでは重い荷物を持ってセリフを良い、何故か自分だけ何回もやり、泣きながらセリフを言っていた記憶があります。昔も今も実は泣き虫です。

結果、なんと受かり、稽古を重ねて新幹線で母と役者さんたちと日本を回りました。主役は初代 遠山の金さんを演じた中村梅之助さんでした。本当に心優しい方でした。

公演先の駅で

記憶にあるのはセリフを覚えていなかったので、監督におこられて泣いたこと。そして毎日、役者さん達や小道具・大道具さん達に、心から優しくしてもらったことです。(移動するたびに小さいおもちゃを買ってくれてました。笑)

旅公演とは面白いもので、公演先で舞台が終わって観光していると、観客の方々が気付いてどんどん話しかけてくれるんです。中には、仲良くなって楽屋で一緒に遊んだ方とかもいました。メイクを落とさず闊歩していたので、それは気づきますよね。。。

魚屋惣五郎が終わり、次にお世話になったのは寺子屋でした。場所は歌舞伎座でした。寺子屋で記憶にあるのは・・・・昔となりにあった美味しいお蕎麦やさんで食べた「とろろそば」です。笑

寺子屋が終わり、義経千本桜のオファーをいただいたのですが、母に「どうしたい?」と言われ。学校にいかなくなるは、よくないな・・・・と考え、お断りしたのをよく覚えています。あそこで続けていたら、皆さんに、今よりさらに「なんだこの人!摩訶不思議!」と思われる人物になっていたことでしょう・・・・。

皆様の日々がより輝き、笑顔が増えるよう、全力投球で今年も進んでまいります🔥